半年サボった代償は、膝が払うことになった。~十石山、雪中登山記~

登山

どうも、オトンです。

今回はたまの出番やない。ワシが自分の口で語る回や。舞台は、はちまき展望台の近く、十石山(じっこくさん)。スノーシュー履いて雪山に挑んだ話や。

結論から言うとく。筋トレ、サボったらあかん。

「久しぶりやし余裕やろ」という慢心

出発前のワシは完全に舐めとった。「まあ半年くらい筋トレ休んでても、体は覚えとるやろ」と。

孫子は言うた。「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」と。ワシは完全に己を知らんかった。己の太腿が、半年の間にただの飾りになっとったことを、この時のワシはまだ知らん。

スノーシューを装着して、いざ出発。雪はふかふか、木々には雪がこんもり積もって、まるで白い絵本の中を歩いとるみたいや。最初の30分は「これは気持ちええな、来てよかったな」なんて余裕こいとった。

地獄、始まる

異変が起きたのは、登り始めて1時間過ぎたあたりからや。

膝が、なんか変な音を立て始めた。「ミシッ」「ギシッ」。オイオイ、ワシの膝はギターちゃうぞ、そんな音出す予定はなかったはずやぞ、と。

雪山の登りいうのは、平地とはワケが違う。一歩ごとに雪に足が沈んで、それを持ち上げる。これをひたすら繰り返す。普段使わん筋肉に「久しぶりやな、覚えとるか?」と全力で呼びかけられとる感じや。答えは、覚えてへんかった。

徳川家康の遺訓にこんな言葉がある。「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し、急ぐべからず」。まさにこれや。急いだらあかん。ワシは完全に急ぎすぎた。半年のブランクという重荷を、雪山という遠き道で、いきなり払わされる羽目になった。家康公、あんたの言う通りやったわ。もっと早よ教えてほしかったで。

カップヌードルカレーが染みる

心が折れかけた頃、休憩ポイントで湯を沸かして食べたカレーカップヌードルのうまかったこと。雪の上に置いた真っ白いカップと、湯気の対比がなんとも言えん。

哲学者エピクロスは「快楽とは苦痛の欠如である」って言うたらしいけど、まさにそれ。膝がバキバキに痛い状態で食うカレー味は、痛みが一瞬だけ消える。これがまさに人生における快楽の正体なんやと、雪山の上で謎の悟りを開いてもうた。

それでも、歩き続ける理由

膝は崩壊、太腿は悲鳴、それでも足を止めんかったのは、なんでやろな。

登山家ジョージ・マロリーは「そこに山があるから」って言うたらしいけど、ワシの場合は「そこに山があるから」やのうて「ここで引き返したらブログのネタにならんから」の方が正直な理由や気がする。まあでも、半分は本気で、雪の中を歩く静けさとか、木々の白さとか、そういうもんに惹かれとったんも事実や。

教訓

下山してからの数日、階段の上り下りが日常生活最大の敵になった。エレベーターのありがたみを、こんな歳になって再確認するとは思わんかったわ。

孟子は「天将に大任を是の人に降さんとするや、必ず先ず其の心志を苦しめ」って言うたけど、天がワシに下したんは大任やのうて、ただの筋肉痛やった気がする。

次の雪山までには、ちゃんと筋トレ再開しとくわ。誰に見せるでもない太腿に、また鍛えられてもらわなあかん。

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