白く輝く枝々を求めて。~三峰山、霧氷トレッキング~

トレッキング

どうも、オトンです。

今回は三峰山(みうねやま)。奈良県にある、霧氷(むひょう)の名所として知られとる山や。標高1,235m、そこまで高いわけやないけど、この時期は特別な景色を見せてくれるいうことで、気合入れて向かった。

登山口、いきなりの銀世界

歩き始めてすぐ、視界に飛び込んできたのがこれや。

もう完全に真っ白。木の枝という枝に雪がびっしり乗っかって、緑の葉っぱがちらほら覗く程度。まだ登り始めて数分やのに、この密度の白さや。孔子は「学びて時にこれを習う、亦説ばしからずや」って言うたらしいけど、この日のワシに言わせりゃ「登りて時に雪を見る、亦説ばしからずや」や。学問より雪見の方が正直テンション上がったわ。

山頂、1,235mの達成感

黙々と足を進めて、ついに山頂に到達。看板がこれや。

「三峰山頂 標高1,235m」の文字が、雪をかぶった木々を背景にくっきり浮かび上がっとる。数字だけ見たら大した高さやないと思うかもしれんけど、雪の中を歩いて到達した1,235mは、平地の1,235mとはワケが違う。ニーチェは「人間は乗り越えられるべき何かである」って言うたらしいけど、この標識の前に立った瞬間、確かに何かを乗り越えた気がしたわ。まあ体力的にはまだまだ余裕やったけどな、達成感だけは一丁前や。

分岐点、道標が語る山の広がり

山頂を後にして進むと、別の道標にも出会った。

複数の行き先と距離、標高が記された道標。こういう標識を見ると、自分が歩いとる道が、もっと大きな山域のほんの一部分やいうことを実感する。老子の「千里の行も足下に始まる」やないけど、この標識の示す何キロも先まで、いつか全部歩いてみたいもんやなと、柄にもなく壮大な野望が芽生えた瞬間やった。

木漏れ日と、踏み固められた雪道

歩を進めるうちに、天気が良くなってきた。青空が見え始めて、雪道に木漏れ日が差し込む。

先行者の足跡がくっきり残った道を、その跡を辿るようにザクザク歩く。誰かが先に歩いてくれた道いうのは、それだけで少し安心感がある。人生も登山も、先人の足跡いうのは案外ありがたいもんやな。

稜線からの絶景、青と白のコントラスト

さらに登ると、視界がグッと開けた。

雪をかぶった山肌と、その向こうに広がる青空。雲がゆったり流れる様子まで見える、贅沢な景色や。パスカルは「人間は考える葦である」言うたけど、この景色の前ではワシは「ただ見とれる葦」になっとった。考える余地なんてない、ただ美しい。

さらに続く、雄大なパノラマ

歩みを進めるたびに、景色はさらに広がっていく。

黒々とした杉林と、白く雪化粧した尾根が織りなす模様。遠くまで続く山々を眺めながら、こんな景色を独り占めしとる贅沢さに、思わずニヤけてもうた。誰にも見られてへんかったからええけど、傍から見たらただの変なおっさんやったかもしれん。

頂上付近、雲と山並みの大パノラマ

そして到達した見晴らしのポイントからは、これまた圧巻の一枚が撮れた。

遠くの山々まで見渡せる大パノラマ。雲の形も刻一刻と変化して、同じ景色は二度と見られへん。この一瞬のために、雪道を踏みしめてきた甲斐があったっちゅうもんや。

山頂飯の王道、カレーヌードルBIG

そして最後、忘れちゃならんのがこれ。

雪の上にちょこんと置かれた、カレーヌードルBIG。寒さで悴んだ手でお湯を注いで、3分待つ間の長いこと長いこと。せやけど待った分だけ、食った時の満足感は倍増する。エピクロスの「快楽とは苦痛の欠如である」いう言葉、寒さで凍えた体にこのカレーが染み渡る瞬間ほど、この言葉がしっくりくる場面はそうそうない。山頂で食うカップ麺は、なんでいつもこんなにうまいんやろな。

霧氷の山が教えてくれたこと

三峰山、標高こそ派手やないけど、霧氷という季節限定の芸術と、稜線からの大パノラマと、山頂カレーヌードルという三拍子が揃った、なんとも満足度の高い一日やった。

雪と氷いうのは、その年、その日、その時間でしか見られん一期一会の景色や。次いつ同じ景色に出会えるかは分からん。せやからこそ、この寒さの中を歩く価値があるんやろうな。

次はどの山の霧氷を見にいこか。もう次の行き先を考え始めとる自分がおる。

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