2022年11月12日、奈良の奥座敷へ
今回の舞台は奈良県、台高山脈のエリアにある明神平(みょうじんだいら)。薊岳(あざみだけ)、明神岳(みょうじんだけ)を絡めて歩いてきた一泊二日の記録や。
正直に言うと、この日程を組んだ時点で若干テンション上がりすぎてた自覚はある。せやけど登山計画いうんは、ニーチェが言うたとされる「深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いている」ってやつと似てて、地図を覗き込みすぎると、地図の方も「ほんまに行く気か?」って覗き返してくる感覚があるんよな。まあ結論、行った。
前泊、静かな樹林の中でテント泊

(写真:落葉した林の中に張った一人用シェルター)
まずは前日入りしてテント泊からスタート。落葉した木々に囲まれた静かな草地に、ちょこんとシェルターを張る。ミニマルなワンポールシェルターに、中にはハイドレーション用のドライバッグを立てて即席の枕代わり。
こういう静かな夜、焚き火もせんとただただ森の空気に包まれてると、ふと徒然草の「つれづれなるままに、日暮らし硯にむかひて」の一節が頭をよぎる。まあうちの場合は硯やなくてスマホでメモ帳開いて、明日の行程を独りで確認してるだけなんやけど、雰囲気だけは兼好法師気分やった。
岩の上にかかる、謎の階段

(写真:巨岩の上に設置された金属製の階段)
翌朝、歩き始めてすぐに出会ったのがこれ。巨大な一枚岩の上に、まるで空へ続くみたいな金属階段が設置されとった。
正直「なんでここに階段?」って二度見したわ。でも登山道整備してくれた人らのおかげでうちらが安全に歩けるわけで、ここはひとつ、二宮尊徳の「積小為大」(小さいことを積み重ねて大きいことをなす)の精神で、この階段一段一段に感謝しながら登らせてもらった。
分かれ道、薊岳と明神平

(写真:「薊岳」「明神平」と書かれた木の道標)
樹林帯の中、木の枝に食い込むように取り付けられた手作り感満載の道標。「薊岳」と「明神平」、両方向に矢印。
こういう分岐に立つ時、うちの頭の中では毎回ロバート・フロストの「選ばれざる道」がBGMとして流れる。「森の中で道は二つに分かれていた」ってやつや。まあフロストの詩ほど哲学的な葛藤はなく、単純に「どっちの景色が写真映えするか」で選んだんやけどな。今回は薊岳方面へ。
稜線から見渡す、雲と山並み

(写真:雲間から広がる山々の稜線)

(写真:どこまでも続く山並みと雲海のような雲)
薊岳への道中、視界が開けた瞬間に広がったのがこの景色。幾重にも連なる山並みと、その上を悠々と流れる雲。
こういう景色を前にすると、松尾芭蕉が奥の細道で詠んだ「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」的な、どこか物悲しくも壮大な気持ちになる……というのは半分ホンマで半分ウソ。実際のところは「うわーすごい」しか語彙が出てこんかった。偉人の言葉を借りんと自分の感動を表現しきれん、これがおとんの語彙力の限界や。
薊岳、標高1406mの山頂

(写真:木製の道標に括り付けられたザック、薊岳1406mの表示)
薊岳山頂に到着。標柱には「薊岳 1406m」の文字。ザックを立てかけて記念撮影のワンカット。
登山あるある。標柱に自分のザックを立てかけて写真撮ると、なんか一気に「達成感のある画」になる。これは登山界の暗黙の作法やと勝手に思ってる。ゲーテが言うたとされる「人は自分の限界を知るために歩く」という言葉、大袈裟に言うたらこれがまさにその瞬間やった。実際は「歩いた後のおにぎりが美味い」の方が実感としてはデカかったけど。
明神平、草原が広がる別世界

(写真:紅葉した木々と草地が広がる高原の風景)
薊岳を後にして明神平に入ると、一気に景色が変わる。木々が生い茂る山道から、いきなりゴルフ場みたいになだらかな草原地帯へ。この日は秋も深まって、草も木々もすっかり赤茶色に染まってた。
明神平は「関西のマチュピチュ」とまでは言わんけど(言うたら怒られるやつ)、樹林帯の中に突然現れる開放的な高原地形は、この山域ならではの魅力やと思う。老子の「大道廃れて仁義あり」やないけど、木に覆われた道が廃れて(?)急に開けた大地が現れる、このコントラストがクセになる。
明神岳、1432mの標識

(写真:「明神岳 1432m」と書かれた標識)
続いて明神岳に到着。標高1432m、「まつさか香肌イレブン」という地元の山岳シリーズの一座に数えられてるらしい。標識のデザインもポップで、イラスト付きのご当地感あるやつやった。
こういう「ご当地山岳シリーズ」的な取り組み、地味に登山者のモチベーション上げてくれる仕組みやと思う。全部踏破したろかい、って気になってまうもん。まあ今回は1座制覇だけで満足しといた。
道標が導く、次の目的地

(写真:「桧塚奥峰」「明神平」と書かれた木製の分岐道標)
下山ルートに入る手前、また新しい道標に遭遇。「桧塚奥峰」「明神平」の文字。
孔子の「道遠くして人を思う」的な心境で(かなり無理やり当てはめてる自覚あり)、次はどっちに行こかなと思案する時間もまた登山の醍醐味。今回はここで明神平方面へ戻って、テント撤収の流れへ。
撤収、また静かな森の中で

(写真:撤収前、再びシェルターを張った様子)
最後にもう一度、シェルターを張った様子を一枚。朝の光の中、来た時と変わらない静かな佇まい。
おとんが感じたこと
今回の明神平・薊岳・明神岳、樹林帯・岩場・階段・草原と、地形の変化がぎゅっと詰まったルートやった。偉人の言葉を無理やり引用しながら振り返ってみたけど、結局のところ、登山の本質を一番的確に言い表してるのはエドマンド・ヒラリーの「そこに山があるから」なんかもしれん。理由なんか後付けでええ、山があるから登る。それだけのシンプルな話に、あれこれ理屈をつけたがるのが人間の性やなと、今回もまた思い知らされた次第や。
次はどの山にどんな屁理屈を持ち込もうか、今から楽しみにしとくで。
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