もう「はちまき展望台」買うたらええんちゃう?たまが呆れながら見た度々の訪問

キャンプ

どうも、たまです。今日はもう、呆れを通り越して感心すらしとる話や。オトンがまた「はちまき展望台」に行った。また、や。もう何回目や、これ。数えるのも馬鹿らしくなってきたけど、記録上は今年だけでもう4回目らしい(たぶん)。

古代ローマの哲学者は「習慣は第二の天性なり」と言うたらしいが、これはもう天性を通り越して「第一の天性」になっとるんちゃうか。オトンよ、いい加減、あの展望台の土地を買うか、せめて年間パスポートでも作ったらどうや。

また同じ景色、せやのに毎回違うから困る

まずこの写真見てくれ。これ、何回目の「格別の絶景」や。せやけど、正直に言うと、また違う顔しとるから腹立たしい。空の青さも、雲の形も、紅葉の色づき具合も、毎回微妙に違うから、「またこの景色か」で片付けられへんのが本当に厄介や。

こっちのアングルも、また新しい表情や。手前の草がすっかり枯れ色になっとって、季節がしっかり進んどるのが分かる。中国の詩人は「川の水は同じ場所を流れても、同じ水は二度と流れない」と言うたらしいが(この手の引用、ワシも毎回正確性には自信ないんで話半分にしといてほしい)、まさにその通り。同じ展望台やのに、毎回違う顔を見せてくるから、オトンもまた足を運んでしまうんやろな。腹立つほど理解できてしまうのが、なお腹立たしい。

晩ごはんは秋刀魚、これは毎度お馴染み

さて、展望台での絶景に浸ったあとは、いつもの晩ごはんタイムや。今回も秋刀魚。もう秋刀魚の登場回数、丹波篠山への訪問回数とタメ張っとるんちゃうかと思うくらい定番化しとる。

そしてこっちが、食べ終わったあとの姿。骨だけになった秋刀魚が、網の上に横たわっとる。この「骨まできれいに食べ尽くす」様子、正直ワシも猫として見習うべきとこがあると思っとる。中途半端に残すくらいなら、最後までしゃぶり尽くす。これぞ食に対する誠意っちゅうもんやろ。

締めは鍋、これもまた安定の美味さ

そして締めくくりはこの鍋。茄子やら青菜やら鶏肉やらがたっぷり入って、いい感じに煮えとる。何度も同じ場所に来て、何度も似たようなメニューを食べとるはずやのに、こうして写真で見せられると、その都度「美味そう」と思わされてしまうから不思議なもんや。

古代ギリシャの哲学者は「同じ食事を、違う心で味わうことこそ豊かさである」と言うたとか言わんとか(もはやこの人が実在したかどうかもワシは怪しんどる)。せやけど、この言葉だけは今回ばかりは妙にしっくりくる気がしてしまう自分がおる。

まとめ:呆れながらも、認めざるを得ない

もう何回目か分からん「はちまき展望台」、そして毎度おなじみの秋刀魚と鍋。正直、ワシは今回「またか」と思いながらこの記事を書き始めたはずやった。せやけど、写真を1枚1枚見ていくうちに、結局「ええ景色やん」「美味そうやん」と納得させられてしもた自分がおる。

これがオトンの狙いなんかどうかは知らんが、もし次にまた「はちまき展望台行ってきた」と言われても、もうワシは驚かんことにする。それくらい、この場所とオトンの相性は、もはや揺るぎないもんになってしもたようや。

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