まいど、ワシや。
今回はキャンプでもドライブでもない。番外編や。高知まで来たら避けて通れんもんがある。そう、鰹のタタキや。
正直に言うとくと、ワシは魚に目がない。ネコやから当然や。せやけどこの鰹のタタキは、ただの魚とはワケが違うかった。
香ばしさという名の暴力
まず出てきたんがこれ。表面をガッツリ炙った鰹に、たっぷりの薬味と、爆弾みたいなニンニクの塊が乗っかったやつや。

炙った表面の香ばしさと、中はまだレアな赤身のコントラスト。これを見た瞬間、ワシの中の何かが「待て」を忘れた。フランスの美食家ブリア=サヴァランは「汝の食べているものを言ってみたまえ。そうすれば、君がどんな人間かを言い当てて見せよう」って言うたらしいけど、この時のワシが何を食べていたか言い当てられたら、答えは「幸福そのもの」や。
薬味のネギとニンニクスライスがワサワサ乗っかっとって、箸を入れる前から香りだけでご飯3杯いける気がした。猫舌のワシでも、この炙りたての香ばしさには理性を持っていかれるとこやったわ。
箸休め、されど主役級
タタキだけやない。箸休めのつもりで頼んだであろう小鉢も、油断ならんかった。

見た目からしてピリ辛オーラを放っとるこの一品。もずくのシャキシャキとキムチの酸味と辛味が合わさって、箸休めどころか主役の座を狙いにきとる勢いやった。孔子は「過ぎたるは猶及ばざるが如し」って言うたけど、この小鉢に関しては「箸休めが過ぎて主役を食う」いう新しいことわざを作ってもええレベルやったで。
トマトの静けさ
タタキとキムチ風小鉢の後にトマトが登場すると、なんや妙にホッとする瞬間がある。

塩がパラリと振られたシンプルなトマト。派手な主役たちの後にこの一皿が来ると、まるで嵐の後の静けさや。老子の「無為自然」やないけど、飾らんでもうまいもんはうまい。トマトの甘みと塩の効いたシンプルさが、口の中をリセットしてくれた。
高知に来たなら、これを食え
結論から言うと、高知の鰹のタタキは噂に違わぬうまさやった。炙りの香ばしさ、薬味の爆発力、箸休めのはずが主役級やった小鉢、そして最後に静かに口を整えてくれるトマト。全部が計算されたコース料理みたいに感じたわ。
オトンは「これ食うためだけにまた高知来てもええな」ってボソッと言うとったけど、ワシも完全に同意見や。猫のワシですら「また来たい」って思わせる一皿、それが高知の鰹のタタキやった。


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