どうも、オトンです。
今回は朽木の河原で、前々からやってみたかったビア缶チキンに挑戦した記録や。缶ビールを鶏のケツに突っ込んで丸ごと焼く、あの豪快な料理や。名前だけ聞いた時は「そんな乱暴なことしてええんか」って思ったけど、やってみたら理にかなった調理法やった。
まずは丸鶏、缶の上に鎮座する
下味をつけた丸鶏を、ビールの空き缶にセットするところから始まる。

見てくれ、この佇まい。缶の上にどっしり乗った鶏の姿、なんや妙に堂々としとる。孔子は「君子は器ならず」って言うたらしいけど、この鶏に関しては完全に「器(=ビール缶)あっての君子」や。孔子先生、ごめんやけどこの鶏、器なしでは自立できひんタイプの君子やで。
炭火の上で、じっくりと
セットが完了したら、あとは炭火の上でじっくり焼いていくだけ。


まだ真っ白な状態の鶏、これがどう変化していくんか、この時点ではまだ半信半疑やった。ビールの水分が中から蒸気になって鶏を内側からじっくり蒸し焼きにするいう理屈、聞いた時は「ほんまかいな」と思ったけど、科学の力を信じてみることにした。デカルトも「疑いうる限りすべてを疑え」言うてたし、疑うだけ疑って、それでもやってみる。これが探究心いうもんや。
覆いをかぶせて、蒸し焼きモードへ
途中からは、鶏全体を覆うように大きな缶をかぶせて蒸し焼き状態にする。

この銀色の覆い、まるで鶏専用のサウナ小屋や。中で今まさに、鶏がじっくり自分と向き合っとる最中や。孟子の「天将に大任を是の人に降さんとするや、必ず先ず其の心志を苦しめ」いう言葉、鶏にも大任が降りかかっとる最中やと思うと、なんや不憫な気もするけど、美味くなるためには必要な試練や。許してくれ、鶏よ。
焼き上がり、黄金色の輝き
覆いを外した瞬間、そこには見違えるような姿があった。

さっきまで真っ白やった鶏が、こんがりキツネ色に変身しとる。この変化の瞬間、料理してて一番テンション上がる瞬間や。プラトンは「美は真理の輝きである」って言うたけど、この照りと焼き色、まさに真理の輝きそのものやったわ。
いよいよ完成、豪快なビジュアル
さらに焼き込んで、完全体になったのがこれや。


この皮のパリッと感、写真からでも伝わってくるやろ。焦げ目のついた部分と、艶々の部分のコントラストが絶妙や。河原のキャンプでこんな豪快な一品が出来上がるとは、正直自分でも驚いとる。老子は「大器晩成」って言うたらしいけど、この鶏、まさに大器晩成や。じっくり時間かけたぶんだけ、しっかり応えてくれた。
実食、口の中で完結する幸福
そして待望の実食タイムがこれや。

皮はパリッと香ばしく、中の身はビールの水分でしっとりジューシー。骨の周りの肉まで火が通っとって、生焼けの心配なんて微塵もなかった。エピクロスの「快楽とは苦痛の欠如である」いう言葉、この一口食べた瞬間の満足感、まさにそれや。缶ビールを椅子代わりにさせられた犠牲の上に成り立つこの美味さ、缶にも感謝せなあかんな。
ビア缶チキン、また作ろう
正直、河原でここまで本格的な料理ができるとは思わんかった。準備と焼き時間こそかかるけど、その分、出来上がった時の達成感と美味さは格別や。
次にキャンプでビア缶チキンやる時は、もうちょっと下味のバリエーション増やして挑戦してみたい。缶ビールの銘柄でも味変わるんちゃうかとか、余計な妄想も膨らんでもうた。朽木の河原、また特大の宿題を持ち帰った気分やで。


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