まだ暑いっちゅうねん、それでも焚き火がしたかった朽木の話

キャンプ

残暑ナメとったらあかん

2023年9月16日。天気予報で「残暑厳しい」言うてたけど、正直ナメとった。

「まあ9月やし、夕方涼しなるやろ」

そんな甘い考えで朽木(くつき)に向かった俺を、朽木の空はジリジリと照りつける太陽で出迎えてくれた。滋賀県highland地帯、京都からもアクセスええし、川と山に囲まれた自然豊かなエリア。なんやけど、この日ばかりは「涼」を求めてきたはずが、体感はまだ真夏やった。

でも、それでもええねん。俺には目的があった。

焚き火や。

汗だくで薪を組む男

キャンプ好きなら分かってくれると思うけど、焚き火って別に「寒いから暖を取る」だけのもんちゃうねん。パチパチ燃える音、揺らめく炎、薪が崩れる瞬間——あれは季節関係なしに人間の本能を刺激してくる何かがある。

哲学者バシュラールは『火の精神分析』で、火を見つめる行為には人間の根源的な夢想が宿ると言うてたらしい。まあ正確に覚えとるかは知らんけど、要するに「火を見るとぼーっとしてまう」ちゅうのは大昔から人類共通の現象やということや。

そんな高尚な話を思い出しながら、俺は汗だくで薪を組んでた。

暑い。とにかく暑い。Tシャツはもうビショビショで、額から滴る汗が薪に落ちる始末。「なんでこんな暑い日に火起こしてんねん俺」と、着火剤に火をつけながら本気で自分にツッコミを入れとった。

それでも火は裏切らない

けど、火が点いた瞬間、そんな不満は全部どうでもようなった。

炎がゆらりと立ち上がって、薪がパチッと爆ぜる音がする。周りの気温なんか関係なしに、その炎の前だけは特別な時間が流れる。ローマの哲学者セネカが「困難に耐えることで魂は鍛えられる」的なことを言うてたはずやけど(これも正確な引用かどうかは自信ないから、興味あったら各自調べてほしい)、まさにこの日の俺のことやと思う。暑さに耐えてでも焚き火を起こした先には、ちゃんとご褒美があった。

川のせせらぎが聞こえる朽木の夜——といってもまだ日は高かったんやけど——炎を眺めながらぼーっとする時間は、季節も気温も超えてくる贅沢やった。

朽木で焚き火、っていう選択

正直言うと、「残暑に焚き火」は万人におすすめできることちゃう。素直に涼しくなってから行った方が快適やし、賢いと思う。

せやけど、あえてこのタイミングで火を焚きに行くのも、それはそれで一興やと俺は思っとる。誰もが快適な季節を選ぶ中で、あえて汗だくになりながら好きなことをやる。そういう「非効率さ」の中にこそ、キャンプの醍醐味があるんちゃうかな。

朽木の自然は、暑かろうが涼しかろうが、いつでも静かに俺らを受け入れてくれる。今度行くときは、ちゃんと涼しい時期に、もうちょっとゆっくり楽しみたいところやけど——まあそれもまた、次の楽しみっちゅうことで。


次回はもうちょい涼しい時期の朽木レポ、書けたらええな。

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