揺れる板の上で、人生を見つめ直す。~谷瀬の吊り橋~

キャンプ

どうも、オトンです。

今回は奈良県十津川村、谷瀬の吊り橋。日本有数の長さと高さを誇る生活用吊り橋いうことで、前々から気になっとった場所や。結論から言うとく。これはただの橋やない、精神修行の場や。

川辺のキャンプ場、まずは下界から

橋を渡る前、まず目に入ってきたんが眼下に広がるこの光景や。

エメラルドグリーンの川沿いに、テントや車がポツポツ並んどる。橋の上から見下ろす形になるんやけど、こうやって俯瞰でキャンプ場を眺めるいうのもなかなか新鮮な体験や。普段は自分があの中の一台としてキャンプしとる側やのに、今日は完全に「見る側」に回っとる。孔子は「学びて思わざれば則ち罔し、思いて学ばざれば則ち殆し」って言うたらしいけど、たまには俯瞰で物事を見る「思う」時間も大事やなと、柄にもなく悟った気分になったわ。

十津川の清流、その美しさよ

もう少し先に進むと、川そのものの美しさが一段と際立つ景色に出会った。

エメラルドグリーンいうより、もはや宝石みたいな透明感のある水の色。蛇行しながら山あいを縫うように流れる川の様子は、まるで一枚の絵画や。老子は「上善は水の若し」言うたけど、この十津川見とったらほんまにその通りやなと思う。低きに流れながらも、これだけの美しさを保っとる。人間もこれくらい柔軟に、それでいて美しく生きられたらええんやけどな。

いよいよ本番、谷瀬の吊り橋

さあ、ここからが本題や。谷瀬の吊り橋、全長297m、高さ54m。生活用の吊り橋としては日本屈指の規模を誇る。

渡り始める前、まず橋の入り口に立った瞬間の緊張感いうのは、写真では伝えきれんもんがある。板と板の隙間から下の川がバッチリ見える構造になっとって、これがまた恐怖心を煽ってくる。しかも歩くたびにギシギシ揺れる。観光客がわんさかおったら、その分揺れも増幅される。集団で渡っとると、まるで橋全体が生き物みたいにうねる瞬間があって、ワシは何度も「南無阿弥陀仏」を心の中で唱えた。

哲学者キルケゴールは「不安は自由のめまいである」って言うたらしい。この橋の上で感じたんは、まさにそれや。一歩踏み出すたびに感じる不安、せやけどその先には確かな達成感が待っとる。自由に、自分の足でこの橋を渡り切るいう選択、それ自体がめまいするほどのスリルやった。

揺れる橋の上で考えたこと

橋の中央あたりまで来ると、もう後戻りする方が怖いいう不思議な心理状態になる。進むも地獄、戻るも地獄。せやけどそこでふと気づいた。これ、人生そのものやんけと。

一度始めたことを途中でやめる方が、実は最後までやり切るより怖い場面いうのは、人生にもよくある。孟子は「天将に大任を是の人に降さんとするや、必ず先ず其の心志を苦しめ」言うたけど、ワシにとってこの日の「大任」は、震える膝を叱咤しながら297mを渡り切ることやった。大した任やないようで、渡っとる本人にとっては相当な大任やったで。

渡り切った後の、あの解放感

なんとか無事、対岸まで渡り切った瞬間の解放感いうのは、言葉にしがたいもんがある。振り返って橋を見ると、さっきまでの恐怖が一気に達成感に変わる。ニーチェの「己を克服する者は、また己を祝福するに値する」いう言葉、伊達に有名なわけやないなと実感したわ。

観光客の中には慣れた足取りでスタスタ渡る人もおって、地元の人からしたらこの橋は「生活の一部」なんやなとつくづく思う。ワシからしたら一大冒険やったけど、日常的にこの橋を渡っとる人らのメンタルの強さには脱帽や。

谷瀬の吊り橋が教えてくれたこと

高さと揺れに震えながらも、渡り切ったという事実だけが残る。それが谷瀬の吊り橋の魅力やと思う。景色の美しさと、スリルと、渡り切った後の達成感。この三拍子が揃った場所は、なかなかそう多くない。

次にまた奈良方面に来ることがあったら、今度はもうちょっと余裕を持って、橋の上から景色を堪能する余裕も持ちたいもんやな。まあ、また同じように震えながら渡ることになる気もするけど。

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