山ばかり通っていた反動か、和歌山御坊の海に呼ばれた話

キャンプ

古代ギリシャの哲学者タレスは「万物の根源は水である」と説いたらしい。丹波篠山の山々に何度も通い詰めていた自分にとって、この言葉は妙に刺さるものがあった。山に飽きたわけでは決してないのだが、久しぶりに海の気配を感じたくなり、和歌山県は御坊まで足を延ばすことにした。

松林に囲まれた、静かなテントサイト

まず腰を落ち着けたのがこの松林の一角。すらりと伸びた松の木々の間から、木漏れ日がテントの生地に模様を描いている。海が近いというのに、ここだけ切り取ると山のキャンプ場と見紛うほどの緑の濃さだ。

こちらはタープの下の様子。ザックと登山靴がきちんと並べられ、隣にはもう一張りのテントも見える。この「道具をきちんと並べる」という行為、実は自分なりのルーティンになっていて、これをやると気持ちがすっと整う。フランスの哲学者は「秩序は精神の平穏をもたらす」と言ったとか言わなかったとか(この手の引用は毎回正確な出典を確認できていないので、話半分に聞いてほしい)。とにかく、この並べる瞬間が地味に好きだ。

夜、炎に炙られるのはサバの文化干し

さて、この日の晩ごはんはサバの文化干し。網の上に横たわった魚が、勢いよく立ち上る炎に炙られている。奥では別の焚き火台でも薪が燃え、まさに二段構えの調理態勢だ。

文化干しというのは、開いた魚を干して旨味を凝縮させたものだが、これを炭火で炙ると香りが一気に立ち上る。炎がここまで大きく揺らめいているということは、脂もかなり落ちているはずで、この火加減の攻防戦こそが醍醐味と言える。中国の思想家は「火は料理人に勇気を試す」と語ったらしい(これもまた出典は怪しいが、この日の炎の勢いを見ていると妙に納得させられる言葉ではあった)。

翌朝、目の前に広がっていたのは大海原

そして翌朝、テントを抜け出して目にしたのがこの光景だ。空と海の境目がほとんど分からないほどの、澄み切った青。手前には黒っぽい砂浜が広がり、遠くにはぽつぽつと人影が見える程度で、静けさに満ちている。

山ばかり見ていた自分の目に、この水平線はやけに新鮮に映った。山は「登る」「見上げる」対象だが、海は「見渡す」対象だ。視線の使い方がまるで違う。この開放感を味わうためだけに、わざわざ遠出する価値は十分にあったと思う。

まとめ:山と海、どちらも裏切らない

松林のテントサイト、炎に炙られるサバの文化干し、そして翌朝の水平線。今回の御坊は、いつもの山メインの遠征とはまた違った表情を見せてくれた。

タレスの言葉を借りるまでもなく、水というのは人をどこか惹きつける力があるらしい。次はまたどこかの山に戻るのか、それともこの海の魅力にもう少し浸るのか。今のところ、自分でもまだ決めかねている。

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