川西・初谷川で野営してきた話。焚き火の煙は哲学の香りがするんやで

キャンプ

オトンがまた河原で焚き火しとる

どうも、ワシや。今日はオトンが兵庫県は川西市、初谷川(はつだにがわ)いう渓流沿いで一晩野営してきた記録を、ワシの目線で語らせてもらうで。

大阪の街からそう遠くない距離に、こんな静かな渓谷があるいうんがまず驚きやねんな。孔子先生も「近くて易きに近寄らず」とは言うてへんけど、言うてたらきっと「近場やからって侮ったらあかんで」くらいのこと言うとったと思うわ。

一張り目のテント、渓流のほとりに

(写真:落ち葉の積もった斜面に張られたテント)

まず設営したんがこのシェルターや。渓流沿いの落ち葉じゅうたんの上に、ちょこんと三角屋根が立っとる。中を覗いたらマットやら水筒やらがきちんと収まってて、これから始まる一晩の「基地」ができあがった瞬間やった。

デカルトは「我思う、ゆえに我あり」言うたけど、オトンの場合は「我テント張る、ゆえに我くつろげる」やな。哲学も突き詰めたら住処の話に行き着くんかもしれんで。

二張り目、オレンジ色のタープが渓谷に映える

(写真:オレンジのタープの下に広げられた寝袋とマット)

もういっこ、鮮やかなオレンジ色のタープも張っとった。こっちはブッシュクラフト風の開放的なスタイルで、下には寝袋、マット、リュック、その辺の落ち葉ももれなくインテリアの一部として取り込まれてる感じや。

こういう「囲わないけど守られてる」空間づくり、老子の「無為自然」の精神に通じるもんがあると思わへんか? 自然に手を加えすぎず、でも快適さはちゃっかり確保する。ズルいっちゃズルいけど、これが野営の知恵っちゅうもんやろ。

焚き火の準備、まだ火の気配すらない静けさ

(写真:石で組まれた焚き火スペースと、周りに並べられた薪)

この時点ではまだ静かなもんや。石を円形に並べただけの焚き火スペース、その脇に折られた木の枝がいくつか置いてあるだけ。ワシから言わせりゃ、これは「静寂の中に秘めた可能性」ってやつやな。

松尾芭蕉が「静けさや岩にしみ入る蝉の声」言うたけど、この瞬間のオトンの心境はさしずめ「静けさや、これから起こす火の予感」ってとこやろ。誰も頼んでへんのに勝手に一句作ってもうたわ。

いよいよ着火、炎が踊りだす

(写真:組まれた薪に火がつき、勢いよく燃え上がる焚き火)

さあ、火がついた。この瞬間がやっぱり野営のハイライトやな。奥にはさっきの白いテントも見える構図で、手前で燃え盛る炎とのコントラストがなんともええ雰囲気醸し出しとる。

ヘラクレイトスは「万物は流転する」言うたらしいけど、焚き火ほどこの言葉がしっくりくるもんはないんちゃうか。同じ形の炎は二度と現れへん。刻一刻と姿を変えながら、薪を灰に変えていく。オトンはただボーッと眺めとるだけやったけど、たぶん頭の中では色々考えとったんやと思うで(知らんけど)。

焚き火飯、鍋と干物のコラボレーション

そしてクライマックス、焚き火メシや。片手には野菜たっぷりの煮込み、もう片方の網では立派な干物がじゅうじゅう焼かれとる。この二枚看板、贅沢すぎひんか。

古代ギリシャの哲学者エピクロスは「快楽こそ善である」と説いたらしいけど、この焚き火飯を目の前にしたらエピクロスも「ワシもその席に混ぜてくれや」言い出しそうな絵面やった。魚の脂がじゅわっと弾ける音、野菜が煮える匂い、これぞ野営の醍醐味っちゅうやつやな。

ワシからの一言

今回の初谷川野営、テント二種類、焚き火、そして飯という「野営のフルコース」を堪能した一晩やった気がするで。オトンが焚き火の前でぼーっとしとる姿を見てると、忙しない都会の生活から一晩だけ抜け出して、火と煙と静けさに身を委ねる時間もたまには悪ないなと、猫ながらに思うわけや。

シェイクスピアも「この世は舞台、人はみな役者」言うたらしいけど、今夜だけはオトンの役どころは「焚き火の番人」やったな。次はどの川べりでどんな役を演じるんか、ワシも楽しみにしとくで。


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